瀬谷ボランティアバス

 

平成25年度瀬谷ボランティアバス

第2弾

辻川さん

記事

音声辻川

第1弾

佐久間さん


 

平成24年度瀬谷ボランティアバス

第2回 釜石市の仮設住宅

 

瀬谷区社協

1:20

音声社協

記事

 

木村さん

5:08

音声木村

記事

 

村島さん

4:21

音声村島

記事

 

篠さん

5:51

音声篠

記事


 

平成24年度瀬谷ボランティアバス第1回 釜石市 鈴子の盆

瀬谷区社協

3:22

音声社協

記事

小川さん

1:19  

音声小川

記録

北井さん

1:40

音声北井

記録

横山さん

2:29  

音声横山

記録


 

平成25年度瀬谷ボランティアバス第2弾報告(辻川)

 

日程 平成25年11月22日(金)~25日(月) 3泊4日(車中2泊)

 

私にとって釜石市は2年4ケ月前、横浜市ボランティアバスで訪れて以来2度目、大槌町は今回初めてでした。震災から2年8ヶ月たった被災地の現状を自分の目で確認したい、そんな気持で瀬谷ボランティアバスに参加しました。2年前に釜石を訪れた時は、壊れた家やクシャクシャになった自動車が沢山残っていました。今回これら壊れた家や自動車は殆ど撤去され、一部で住宅建設のための試験的な嵩上げ工事が始まっていました。

 

その一方で、釜石社協矢浦さんからいただいた資料やお聞きした話では、釜石にはまだ66ヶ所(3,164戸、内2,935戸入居)もの仮設住宅団地、400戸以上のみなし仮設があり、入居済みの復興住宅は僅か86戸です。大槌にも48ヶ所の仮設住宅団地があるとのことなので、仮設にお住まいの方が普通の家に移転出来るにはまだ何年も掛かりそうです。1日目午前は釜石の被災地視察でした。釜石東中学校と鵜住居小学校の生徒が生きのびた“釜石の奇跡“と逆に鵜住居地区防災センターに避難したのが仇になり200名以上が亡くなった”釜石の悲劇”も現場に行ったことで改めて実感できました。

 

2日目午前は大槌町の視察でした。個人的にFacebookの「大槌わくわくファンクラブ」グループに参加していることもあり、また1027日瀬谷公会堂の「瀬谷丸報告会」に出席したこともあり、大槌は前から訪れたいと考えていました。今回、「おらが大槌夢広場スタッフ」の小向さんにガイドしていただき、大槌体育館前の小高い丘からビデオで見た大槌町を遠望し、また40名が亡くなった旧大槌町役場を見学し、被害が大きかったことが実感出来ました。大槌も釜石と同じく、復興住宅建設が少しずつ始まりかけた段階のようです。私の故郷神戸では仮設住宅解消まで5年掛かりました。釜石、大槌は津波被害が大きかった分、復興にも更に年数がかかりそうです。

 

1日目の午後、我々第3グループは甲子第7仮設団地(36戸)を訪れ、ここにお住まいの5名のシニア女性とお話出来ました。仮設生活の疲れか一部愚痴っぽい話も出ましたが、全体としては今更愚痴を言っても仕方ないもう少し頑張ろうという雰囲気でした。同じグループの3名の高校生が積極的に仮説の方々とお話する様子には逞しさを感じました。2日目午後は平田第1仮設で20名近い参加がありました。私はクリスマスリースを担当しましたが2日目とあって不器用な私にも何とかこなすことが出来てほっとしました。

 

仮設訪問で気になったのはシニア男性の参加者が殆どいなかったことです。クリスマスリース、ツリー、折り紙という題材ではシニア男性の参加は難しいと思います。パソコンを使った名刺作成、写真入りカレンダー作成、ラジオ受信機、理科実験教材など男が参加し易いテーマを盛り込んだらどうかという気がします。この場合、ボランティア参加者にもそのトレーニングが必要ですが、私の知合にもこの方面の得意な人はいるし知恵を絞れば何とかなると思います。被災地は復興の兆しが感じられるようになったものの、まだまだ年数が掛かりそうです。瀬谷ボランティアバス継続には資金面でも苦労が多いと思いますが、出来るだけ長く続くことを願っています。

 

釜石、大槌被災地視察、仮設住宅訪問スライドムービー

 

瀬谷社協

 

平成24年度 瀬やボランティアバス第2弾 実施報告(瀬谷社協 牧内)


日程 平成24年11月22日(木曜)~25日(日曜) 3泊4日(車中2泊)

 

活動内容 岩手県釜石市内の仮設住宅談話室(2日間で10カ所)を会場に、避難生活を送られている方々と一緒にクリスマスリースとペーパクラフトによるクリスマスツリーを作り、『瀬谷の逸品』のお菓子「瀬谷じまん.|と「八福神」を味わいながら交流を深めました。

 

横浜からの参加者は、被災時や避難所・仮設住宅での生活の様子など、貴重な話を聞くことができました。また、昼食・夕食は鈴子広場内の仮設店舗等を利用することにより経済的支援も行いました。その他、現地ガイドによる被災地視察も行いました。

 

※2日間合計で124名のかたが参加されました。 参加者数 35名(うち 高校生13名)

 

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瀬谷災ボラ活動報告へ

 

参加者アンケート 木村

 

参加者アンケート  木村 ((瀬谷区災害ボランティアネットワーク) 

 

 初めに、被災地の現状をご案内いただきました皆様に、又 訪問先の仮設住宅で、ご協力いただきました皆様にお礼を申上げます。 私は、80歳に近い年齢ですので、昨年の被災直後からのボランティアには、体力的に不安で、参加出来ませんでした。今回は仮設住宅の方々との交流ということで参加させていただきました。


 昨年3月11日、 私たち瀬谷区災害ボランティアネットワークの「災害ボランティアセンター開設訓練』を翌 12日に予定していましたので、準備作業をしていましたが、震度5の地震で、急遽 翌日の訓練を中止しました。その時釜石市を含めた東北一帯の海岸が、地震と津波により大きな被害が出た瞬間でした。


 被災の状況は、新聞やテレビなどで見聞きしていましたが、皆様のお話や、バスの中でのビデオ、更に被災地をこの目で見た結果は、全く想像を越すものでした。


 被災報告の中では、「学童は、平素 津波の避難訓練をして、少しでも高い場所へ、下校時にも訓練をしていて、家族に頼らずに訓練通りに避難した事が、親が迎えに来た児童1名と、当日休んでいた児童数名が津波に飲まれただけでしたと伺いました。一方避難訓練の際に、避難場所でなく、仮の避難場所としてビルの屋上を使い、津波の際に避難場所でなく訓練に使用したビルに避難してお亡くなりになったことも伺いました。

 

また大人は、自分の家は大丈夫など 勝手な思惑で避難が遅れて、お亡くなりになった方も多いと伺いました。訓練は、単なる訓練で無く、実際を想定した訓練をしなければ役に立たない。今後私たちも肝に銘じて、訓練を行う必要があると感じました。


 今回の訪問で先ず気になったことは、小中学校が2年近くになるというのに、校舎の建設着工も出来ない状況であったこと。瓦礫が、ぶん別作業がなかなか進まず、各所に積まれていたことです。 復興予算がどのようになっているのか、優先順位は?など 疑問を感じました。


 それに引き換えて、今回お目にかかりました皆さんが、明るく接していただけたことが何よりでした。私たちグループが訪問させていただきましたのは、23日に野田第2,翌24日が鵜住居町、田郷Dいずれも仮設住宅の集会場でしたが、活動内容など写真などが貼られ、明るい雰囲気の中での交流が出来ました。私は、少し折り紙が好きでしたので、メインのクリスマスリースの製作の他、サンタクロースの折り紙を皆様と楽しませていただきました。


 田郷Dの際は、子供さんと別な集会場で、折り紙をしましたが、その部屋にいらっしゃった、平松茂班長さんと、阿部一良さんのお二人とじゃっかん話す機会がありましたので「皆さん本当に明るくされていますが、種々の会合に出てこれなくて、家でふさぎこんでる方がいないでしょうか」と伺いました。「いません、何かの会合に積極的に皆さんを集めていただける、渡邊さんがいるので」とのことでした。


 元の集会場に戻り、渡邊さんとお目にかかり、なるほどと感じました。部屋の飾りつけなども、担当されていられると伺いました。苦しいときにこのようなかたの明るい対応、努力が必要だと感じました。


 はまゆり飲食店街でも、昼食時軽食堂のお上さんと話しました。この方の家は、大型船が打ち上げられた海岸のすぐ前に代々続いたおこめ屋さんだったそうです。風通しの良いこめ蔵・商店・家財も全て流されてしまったそうです。しかしご家族全員が助かったことが何よりですと伺いましたが、親戚や知人も多く亡くなったと少し淋しそうでした。


 今回見聞きしましたことを基に、私たち瀬谷区は、災害時の対応の準備が出来ているかを再考したいと思いました。


 釜石の皆さん、有難うございました。機会がありましたら再度伺いたいと思っています。

 

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参加者アンケート 村島 (瀬谷区災害ボランティアネットワーク)


 今回のボラバスに参加して感じたこと、思ったことなどお答えします。まず、参加者の皆さんがおっしゃったように、どこの集会所でも被災者の方々の明るい笑顔が印象的でした。元気な子どもたちや明るい皆さんから、かえって私たちが元気をいただいた感じがしました。


 クリスマスリースを作りながら、小さな話題がひろがって、自然な形で被災の時の状況などをお聞きすることができました。お話はしっかりと心に留めておきます。元気な子どもたちに布えほんの読みきかせをしました。終わったときに「また明日来てね」と子どもに言われたときは、思わず「また明日ね」と返事をしそうになりました。読みきかせ冥利につきるひとときでした。


 反面、ここに参加されない方、参加出来ない方々のことが心に重く残りました。なれない土地での仮設住宅の孤独な暮らしに、どうぞいち日もはやく安心な生活がおくれますよう、心から祈らずにはいられませんでした。矢浦氏のご案内で被災地の視察をしました。中心街である地域も、更地と土台のみが残るところがほとんどで、復興の兆しは感じられませんでした。海岸には膨大な量のガレキ(燃えるゴミと燃えないゴミに分ける作業ができていない)が集められており、いったい復興税はどこにどう使われているのか、怒りがなかなかおさまりませんでした。


 矢浦氏のお話で、すごく心にのこったのは「奇跡と悲劇は紙一重」というお話でした。それは、奇跡といわれた釜石の小中学生の生存率98.9%は、日頃の防災教育の結果と、そのときの判断が子どもたちの命を救ったというお話です。私たちは災害ボランティアのコーディネーターとして、情報を読み解く力、判断力、決断力などの必要性を感じ、その重い責任に身の引き締まる思いがしました。映像で見るのとは大違いで、実際に現地を見たことにより、状況を肌で感じ 実感としてその被害をとらえることができたことは、今回のボラ活のおおきな経験でした。


 二回目の視察は、菊池 準氏のご案内で、片岸海岸に行きました。「ビーチプロジェクト」という事業で、津波によって失われた浜辺を、子どもたちが遊べるビーチにしようという事業です。子どもたちが安心して遊べるビーチに戻すのには、自然の力では15年もかかるそうです。ここでも、一日でも早く、安心して遊べる海水浴場になることを祈りました。目の前の海は、大きな爪痕をのこしたことなどウソのようで穏やかにきらきらと晩秋の光に輝いていました。菊池氏のお話の中で、大きな災害をもたらした海だけれど、その経験を乗り越えて、海はやっぱりここに住む人々の心のよりどころだとお話ししてくださったことが心に深くのこりました。


 今回のボラ活では、高校生の皆さんの優しさや手助けに支えられ、グループの皆さんのおかげで楽しく元気に活動できたことを感謝します。高校生の参加から、ボランティアの心が確実に若い世代に受けつがれていることを実感しました。元気で生きながらえたら、また、ボラバスに参加して釜石のかたがたにお目にかかりたいものです。


 真夜中のバスのなかのコンサート 素敵でした。あっ それからもう一つ、もし、参加の方々の了承がえられれば、参加者のお名前のはいったネームプレートをつけていただければ、もっとよかったと思いました。

 

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参加者アンケート 篠    (瀬谷区災害ボランティアネットワーク)


 東日本大震災被災地復興支援事業(瀬谷ボランティアバス第2弾)に参加して


 11月22日~11月25日の間 瀬谷区社協主催で、釜石市に向けてボランティアバスが1台出ました。参加人員は、高校生14人、大学生3人、さいボラ3人、一般10人、社協5人の総勢35人です。今回の目的は、被災されたかたにクリスマスリング、ツリーを作りながら被災者のかたと交流を図ることです。材料は、事前に約200セット程 準備して出かけました。


 活動は、11月23日午前に現地の社協のかた、11月24日午後にNPO法人のかたにバスに乗込んで頂いて、被災地を案内してもらい、基礎的な知識や 悲惨な現状を勉強した上で午後に備えました。


 活動は 1グループ7人、5グループで、11月23日午後5か所、11月24日午後5か所 計10か所の仮設住宅内の集会場にて、お茶を飲みながら交流会を行いました。クリスマス関連の折り紙なども時間の合間をぬって一緒に作成しました。そうした作業中でも終始被災者の方々は元気で、明るく、気さくに交流ができたことは、思っていた以上のものがありました。


 私は、今度、東日本大震災への3回目のボランティア活動ですが、1回目(昨年8月),2回目(昨年12月)はガレキの片づけが主で、どちらかと言うと力仕事がメインでしたが、今回は室内での交流がメインでした。


 午前中に現地のかたに被災地を案内して貰いましたが、昨年見た被害の様相は殆ど変わりがなく、がっかりしました。復旧工事は殆ど進展していない状況です。特に津波被害があった住宅地、商店街、漁港の港湾施設、防波堤、地盤沈下対策など生活の基盤が何も復旧していないのが現状でした。その中で仮設住宅と被災地の電柱、信号機、コンビ二などが人の住まない場所にぽつんとあるだけで、夜は真っ暗だそうです。


 震災から1年8か月も経過しているのに、こんなに進まないものなのか、はがゆい思いでした。まず、防波堤の復旧はいち早く復旧し、土地のかさ上げ工事を早く行わないと、復旧がどんどん遅れてしまう現状でした。


 写真を相当枚数撮ってきましたが、被災者のかたの顔が入ったものが多く、今回は公開できません、あしからず。個人的に興味のあるかたには、スライドムービーにしてありますので連絡ください。守秘義務をご理解して頂ければお貸しすることは可能です。時間は約20分です。


 また、昼食、夜食は、現地の釜石駅近隣の仮設商店街「釜石 はまゆり飲食店街」で済ませ、そこで現地のかたのお話を聞く機会がありました。その方は、大型の貨物船が防波堤に乗り上げた有名な写真があった近くでおこめ屋さんを開業していたそうです。このおこめ屋さんの家は100年以上も前に建てられたものだそうですが、津波で一瞬にお店のこめ約6トン、精米機など全て流されたそうです。金庫も持ち出すことができず、着のみ着のままで逃げるのが、やっとであったそうです。しかしこ家族の方は全員無事であったそうです。


 現在は、仮設商店街で、パスタなど軽食堂を開いています。また、我々が宿泊したホテルは、釜石市内にあるホテルで、高台にあり、釜石市内でゆいつ 津波の被害を受けなかったホテルだそうです。そのため、震災後は電気、水道、燃料油など生活インフラは、病院と同等に復旧されたそうです。初めのうちは、水道が不通のため、山間から地下水を集めて、引いて、お風呂に使用したそうです。


 11月24日午前中は、釜石市に3か所あった海水浴場がすべて流され、唯一、今回の震災で出来た砂浜があり、今年の夏より地元の方々と話し合い、ボランティアが延べ1,000人近く入り、ガレキの撤去、砂浜の砂の中のガラス片などを取り除いて、海水浴のできる砂浜を蘇らせたそうです(B1プロジェクト活動として実施した)。 今後は、海の家、トイレ、シャワー、お店の誘致などを行い、来年の夏には海水浴場としてオープンしたいとのことでした。場所は、鵜住居地区の旧根浜海水浴場近くです。

 

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平成24年度 瀬谷ボランティアバス 実施報告
日程 平成24年8月2日(木曜)~8月4日(土曜)2泊3日(車中1泊)


活動内容


岩手県釜石市の鈴子広場で行われた なつ祭り「鈴子の盆」の運営支援、具体的にはポップコーン、かき氷、わたあめの販売(各50円)、子ども向けゲームコーナーの運営(1回10円)、バルーンアートの配布、灯篭作りコーナー、子供向け浴衣配布コーナーの運営等を行いました。当日の売り上げ約1万5千円は義援金として釜石市社会福祉協議会へ寄付しました。夕食は広場内の仮設店舗を利用することにより、経済的支援も行いました。また、お祭り実施前の時間を利用して、現地ガイドによる被災地視察も行いました。


参加者数
35名(うち高校生15名)※今回は瀬谷区の他、青葉区、金沢区の社会福祉協議会と きょうどう開催しました。3区全体での参加者数は91名(うち高校生26名)。

参加者からの感想(抜粋)


人と関わることを避ける傾向にある若者が多い中、高校生や若い人たちが積極的に ボランティア活動に参加し、一生懸命活動している姿に感動しました。


今回参加してみて、実際に体験する大切さがわかりました。現地視察での津波の話がとても印象的でした。テレビや新聞の報道では感じることのできないことが学べ、いい経験になりました。


高校生が参加したということで大きな成果があったと思います。現地に行って、自分の目で見て、そして現地の人と触れ合ってみないとわからないことが多くあると思います。被災地を目の当たりにした高校生から支援活動を「続けなければならない」、「伝えなければいけない」などの頼もしい意見がたくさん聞かれ、これからの若い力にとても期待が持てました。


視察の時、ガイドさんに最後に言われた「どうぞ、写真を撮って伝えてください。忘れられてしまうことが一番辛い」という言葉が忘れられません。帰って、家族や祖母に復興が滞っていることを伝えました。


たくさんの笑顔を見ることができて嬉しかったです。私たちが笑顔で接すると、現地の子どもが笑い、それを見て保護者の方々が笑顔になっていく。お年寄りも笑う。そんな笑顔の連鎖を間近で感じることができて、何て素晴らしいのだろうと感じました。 ※この事業は神奈川県共同募金会「たすけあい福祉資金』の配分を受けて実施しました。

 

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参加者アンケート   小川

 

釜石市の夏祭り「鈴子の盆」の運営支援と参加して各担当に分かれてブース(テント)の設営・運営が高校生15名を含めて、順調に出来、ボランティアが達成出来て良かったと思います。

 

金曜日午後からの夏祭りでしたが、近所の子供連れの人、子供達、中高校生等が集まって来られ、祭りを楽しんでもらえ良かった。欲を言えばもうすこしたくさんの人達が集まれば、もっと盛り上がったと思いますが、まだ復興途中で色々事情があり、今後も継続して支援しなければならないと感じました。

 

また、ボランティア活動中に、1時間被災現場に案内され状況を聞き、被害の大きさ、瓦礫等の片づけは進んでいたが、新たに建物が建っておらず復興が進んでいないと再認識しました。復興が長期間になりますが、また機会を作ってボランティアを行いたいと思います。

 

ボランティアバスの運営の皆様、色々お世話になりどうも有難うございました。

 

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参加者アンケート   北井さん

 

ボランティア活動を行った場所は釜石市鈴子の広場でした。現場は町ごと被災し鉄道も家並も全部なくなっていました。瓦礫はほとんど片付いていましたが、復興の兆しは全く見られませんでした。

 

鈴子の盆のお祭りのボランティアでしたが、参加の方々とお話をすることが出来ました。そのお話の中で、見舞金も交付されましたが、交付されても非常に不公平で納得できるものではなかったというお話でした。

 

現地を見て、現在の私たちの生活がいかに恵まれているかを痛感しました。仮設住宅でお店をやっているご夫婦のお話を聞きました。このご夫婦は家・財産を全て流されたご夫婦でしたが、生命が助かったことは幸せだったという話に感動を覚えました。

 

救援品もひどい毛布が支給され使う事も出来なかったこと、この救援品の支給にも差別があり、これも納得できなかった、などなど、出会った方々に生のお話を聞くことが出来ました。

 

今回のボランティアバス参加で、被災地の方々の生の声を聞き数々の心動かされる実態を見聞きし、この体験をこれからの活動に生かすことが出来ればと思いました。

災ボラのメンバーとして参加することが出来て非常に良かったです。ありがとうございました。

 

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参加者アンケート    横山さん

 

気負いをせず参加してこよう。-そう思ってバスに乗り込んだ。久しぶりに大好きな東北に到着。祭りの準備の間バスで釜石、両石湾を走り被災地を見せてもらう。ガレキが片づけられ土台が残った町は雑草ばかりが元気だった。戻りバス車中でご自宅が流されるビデオを坦々と説明下さる釜石社協の方。心中は察するに余る。絶望の自分を越え涙を耐え説明を下さる。この現状を訴え続け知ってもらうことが自分の役割と。

 

舞台では大平中の力強いソーラン節が始まった。色々を抱えているのに一心で踊る姿に涙が出てしまう。大漁旗がはためく港に一日も早くと願う。前列にかけて拍手している菊池さん、おしゃべりしてくうちにTシャツがほしいと意外な品物、すでに二度目の夏だ。体育館で嘔吐が続き、アパートを探し移った。

 

仮設の方への支援物資とは程遠く、こうしてイベント時に何か頂けるかと足を運んでいると羽織っていた上着をその場で着てくれ、後のタオルケットの宅急便に有難うを重ねる電話があった。まだまだなんだ・・・。

 

 短い現地の滞在であったが土地の方の生の声が伺えた。「ここも一年後には出なくてはならない」という「京花」のご主人。復興策の矛盾を訴える。店の経営も大変なのだろうに“サービスです”とウニを出してくれる。バスを待つおばさんは”ご苦労様“と言って荷物の中からコーラを取り出してくる。せっかく買ってきたのに何と温かい人々なのだろう。

 

 自分に何が出来るのだろう、あの温かい人々に・・・。

 釜石市社協の方が教えてくれた、逃げ出せない釜石の方の思いを、現状を一人でも多く伝えてほしい。時間を共に風化させない事と。

 

伝えます、そして大好きな東北の風景と人に会いに足を運びます。

ボラバスに参加させて頂きありがとうございました。

 

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釜石市鈴子の盆(24年8月)スライドムービー